けれど、もっと不十分な環境のもとで生きている人もいる。
東京大学教授の福島智(さとし)氏は、3歳で右目を、9歳で左目を失明し、全盲になった。
生来が楽天的という福島氏は、視力を失っても音の世界がある、耳を使えば外の世界とつながることができると考え、音楽やスポーツ中継や落語に夢中になっていた。
だが、14歳から右耳が聞こえなくなり、18歳、高校二年生のときには残された左耳も聞こえなくなった。
全盲聾。
まるで、「真っ暗な真空の宇宙空間に、ただ一人で浮かんでいる」感じだという。
なぜぼくだけこんなに苦しまなければならないのか。これから先、ぼくはどうやって生きていけばよいのか。
不安、恐怖、絶望。懊悩の日々が続いた。
そんなある日。母親の令子さんが福島さんの指を点字タイプライターのキーに見立て、
「さとしわかるか」と打った。
「ああ、わかるで」と福島さんは答えた。
母親のこの指点字は壮大な転機となった。
福島さんは真っ暗な宇宙空間から人間の世界に戻ってきたのだ。
その時の感動を福島さんはこう詩に綴っている。
指先の宇宙
ぼくが光と音を失ったとき
そこにはことばがなかった
そして世界がなかった
ぼくは闇と静寂の中でただ一人
ことばをなくして座っていた
ぼくの指にきみの指が触れたとき
そこにことばが生まれた
ことばは光を放ちメロディーを呼び戻した
ぼくが指先を通してきみとコミュニケートするとき
そこに新たな宇宙が生まれ
ぼくは再び世界を発見した
コミュニケーションはぼくの命
ぼくの命はいつもことばとともにある
指先の宇宙で紡ぎ出されたことばとともに
我々は、まったく不十分な環境のもとで生きている。
けれど、福島氏にはそれに対する被害者意識がみじんもない。
被害者意識で生きている人は、何事であれ人のせいにする。
人のせいにしている人に難関は越えられない。人生は開けない。
だから我々は、たとえ不十分な環境であろうと、いや、不十分な環境であればこそ、被害者意識で生きてはいけないのだと思う。
(「致知」2016年6月号より編集)