哲学の開祖ともいうべきギリシャの哲人ソクラテスは、「人はただ生きるだけではだめで、よりよく生きなければならない」と言いました。 効率的な稼ぎ方や、効果的な出世の仕方といった技術を身につけることも大切ですが、正しい生き方とは何か、真善美とは何かといった、哲学を身につけることも人として生きるために重要です。 このブログでは、日々の気づきのかけらを通じ、現代の哲学を考えていきたいと思います。
2015年7月23日木曜日
2015年7月20日月曜日
右利きと左利き
内向的か外向的かといった性格の違いは、右利き左利きという身体の違いと同じだ。
左右の違いは、上下優劣の違いでもなければ、前向き後ろ向きという違いでもない。
それでも人は、「自分は人とは違う」ということを気にする。
他者にも、「あなたは人とは違う」ということを気にさせる。
人と人は違う。それは厳然たる事実だ。ならば、
違いは直すべきなのか、同じにすべきなのか、それとも第三の道があるのか。
「異文化マネジメント」でも向き合うテーマだが、あなたはどう思うだろう。
左右の違いは、上下優劣の違いでもなければ、前向き後ろ向きという違いでもない。
それでも人は、「自分は人とは違う」ということを気にする。
他者にも、「あなたは人とは違う」ということを気にさせる。
人と人は違う。それは厳然たる事実だ。ならば、
違いは直すべきなのか、同じにすべきなのか、それとも第三の道があるのか。
「異文化マネジメント」でも向き合うテーマだが、あなたはどう思うだろう。
2015年7月19日日曜日
無理を超える
無理をする生き方と、無理のない生き方。
君はどちらを選ぶだろう。
最初から無理のない生き方をする人は、大きくなれない。
大きくなるためには、まずは無理をしなければならない。
けれど大きくなろうと無理しても、そのうち限界がくる。
無理をする生き方の先に、無理なく大きくなれる生き方がある。
人として最後に一番大きくなる人は、無理ののちに、無理のない生き方をする人なのだと思う。
君はどちらを選ぶだろう。
最初から無理のない生き方をする人は、大きくなれない。
大きくなるためには、まずは無理をしなければならない。
けれど大きくなろうと無理しても、そのうち限界がくる。
無理をする生き方の先に、無理なく大きくなれる生き方がある。
人として最後に一番大きくなる人は、無理ののちに、無理のない生き方をする人なのだと思う。
2015年7月17日金曜日
自信と謙虚
「自信が有るか、無いか」という軸と、「謙虚か、傲慢か」という軸とは全く別の次元軸です。
だから、「自信があり、謙虚でもある」ことは無理でも何でもありません。
むしろ、自信の無い人は、卑屈にはなれても謙虚にはなれないと思います。
だから、「自信があり、謙虚でもある」ことは無理でも何でもありません。
むしろ、自信の無い人は、卑屈にはなれても謙虚にはなれないと思います。
2015年7月16日木曜日
ワインが熟成されるように
常にハイテンションでいることや動いていることは、良いことでしょうか、それとも悪いことでしょうか。
人は本来、陰陽のバランスの上に生きています。
ハイテンションで動くことは大事。
けれど時に、何もしないでいることは、良いワインが熟成を必要とするように、人としての味わいを深くしてくれるかもしれません。
そういう時間を、大切に味わいたいと私は思います。
人は本来、陰陽のバランスの上に生きています。
ハイテンションで動くことは大事。
けれど時に、何もしないでいることは、良いワインが熟成を必要とするように、人としての味わいを深くしてくれるかもしれません。
そういう時間を、大切に味わいたいと私は思います。
2015年7月15日水曜日
2015年7月14日火曜日
息する姿勢、生きる姿勢
ため息をつきたくなる時は、私もふくめ誰にでも必ずあると思います。
そういう時、試しに胸を張った状態で、ため息をついてみてください。
たぶん、ため息はつけないと思います。
胸を張った状態で口から大きく息を吐くと、それは武道で言う「息吹き(いぶき)」となります。
それは、臍下丹田(せいかたんでん)に力がこもる、力強い呼吸です。
ため息をつく時にすら胸を張ることを忘れない人には、内から力が湧いてくるように、人の体というものは精妙にできているようです。
そういう時、試しに胸を張った状態で、ため息をついてみてください。
たぶん、ため息はつけないと思います。
胸を張った状態で口から大きく息を吐くと、それは武道で言う「息吹き(いぶき)」となります。
それは、臍下丹田(せいかたんでん)に力がこもる、力強い呼吸です。
ため息をつく時にすら胸を張ることを忘れない人には、内から力が湧いてくるように、人の体というものは精妙にできているようです。
2015年7月13日月曜日
マインドフルネスを日本語にすると
マインドフルネスというものが注目されていますが、これには日本語訳が無いとされています。
ただ、実践してみると、これは「無心」と訳してもよいのかもしれないと感じます。
マインドが「フル」である状態と、心が「無」である状態。
表面的には、それらは真逆の表現といえます。
しかし、心に邪心も不安も雑念も無い状態というのは、「何も無い」空虚な状態ではなく、むしろ「ゆるぎない透明な何か」で心が満たされている状態です。
本質的には、「無心である状態」とは、「マインドがフルである状態」と同じことを指しているのではないかと思います。
「無心」を英訳すると、どうなるでしょう?
ただ、実践してみると、これは「無心」と訳してもよいのかもしれないと感じます。
マインドが「フル」である状態と、心が「無」である状態。
表面的には、それらは真逆の表現といえます。
しかし、心に邪心も不安も雑念も無い状態というのは、「何も無い」空虚な状態ではなく、むしろ「ゆるぎない透明な何か」で心が満たされている状態です。
本質的には、「無心である状態」とは、「マインドがフルである状態」と同じことを指しているのではないかと思います。
「無心」を英訳すると、どうなるでしょう?
2015年7月12日日曜日
2015年7月10日金曜日
恐れを知る
人生の前半戦では、おそれを知らないことが挑戦と成長につながるけれど、人生の後半戦では、世の中のこわさを知り、知りながらなお挑戦することで、次元の違う高みへ成長することができるのです。
恐れを知らない人であることは、良いことと思いますか? それとも良くないことと思いますか?
皆さんは、恐れを知らない人でありたいですか? それとも恐れを知る人に、なりたいですか?
恐れを知らない人であることは、良いことと思いますか? それとも良くないことと思いますか?
皆さんは、恐れを知らない人でありたいですか? それとも恐れを知る人に、なりたいですか?
2015年7月9日木曜日
2015年7月8日水曜日
半分は人のため
「半分は自分のため、半分は人のため」
私たちの生活は、この絶妙なバランスの上に成り立っている。
この何気ない、当たり前かもしれない姿の大切さを、これからどんな苦難に遭遇しても忘れないようにしたい。
私たちの生活は、この絶妙なバランスの上に成り立っている。
この何気ない、当たり前かもしれない姿の大切さを、これからどんな苦難に遭遇しても忘れないようにしたい。
2015年7月7日火曜日
2015年7月6日月曜日
2015年7月5日日曜日
2015年7月4日土曜日
2015年7月3日金曜日
自分に何を問いかける?
的はずれな質問は、的はずれな答えを招く。
つまり、質問を間違えれば、我々は失敗する。
つまり、質問を間違えれば、我々は失敗する。
ならば私たちは、自分自身に対しては、何を問いかけながら日々を生きているだろう。
それを改めて厳しく考えたい。
それを改めて厳しく考えたい。
2015年7月2日木曜日
2015年7月1日水曜日
栄光と陰徳
栄光を求める生き方と、陰徳を積む生き方。
あなたの心は、どちらを志向していますか。
どちらも頑張ることだから、どちらも等しく報われます。
けれど両者が違うのは、栄光を求める生き方にとって、報いは「目的」であるのに対し、陰徳を積む生き方では、報いは「結果」であることです。
「目的」は最初から見える。けれど、「結果」は起こるまで見えない。
だから栄光を求める人は、想像した通りに報われるのに対し、陰徳を積む人は、自分でも想像もつかなかった形で報われるのです。
あなたの心は、どちらを志向していますか。
どちらも頑張ることだから、どちらも等しく報われます。
けれど両者が違うのは、栄光を求める生き方にとって、報いは「目的」であるのに対し、陰徳を積む生き方では、報いは「結果」であることです。
「目的」は最初から見える。けれど、「結果」は起こるまで見えない。
だから栄光を求める人は、想像した通りに報われるのに対し、陰徳を積む人は、自分でも想像もつかなかった形で報われるのです。
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